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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

アプリをリリースした夜のことは、今でもよく覚えています。SNSへの投稿を公開した瞬間から30分おきに通知を確認して、リプライのひとつひとつに胸が高鳴っていました。ちょっとしたコメントでも、スクリーンショットを撮ってフォルダに保存するくらい嬉しかった。「ついに出した」「誰かに届いた…
この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
アプリをリリースした夜のことは、今でもよく覚えています。SNSへの投稿を公開した瞬間から30分おきに通知を確認して、リプライのひとつひとつに胸が高鳴っていました。ちょっとしたコメントでも、スクリーンショットを撮ってフォルダに保存するくらい嬉しかった。「ついに出した」「誰かに届いた」——そのときの興奮は、本当に本物でした。ものを作ることの喜びそのものだと思っていました。 でも、それから半年ほどが過ぎた頃、ふと気づいたことがあります。アプリを送り出した側のはずなのに、自分では全然使っていない。開発者ダッシュボードは毎日チェックするのに、ユーザーとして自分のアプリを開くことが、いつの間にかほぼなくなっていたんです。通知を設定した側なのに、受け取ってもほとんど開かない。少し恥ずかしいような、悲しいような気持ちになりました。 これは、そんな時期に自分のためだけに小さな機能をひとつ追加して、また好きになれた話です。誰かに頼まれたわけでも、指標が改善したわけでもない。ただ「自分が使いたかった」それだけの機能が、冷めかけていた気持ちを静かに取り戻してくれました。同じような感覚を持っている方に、少しでも届いたらいいなと思いながら書いています。
リリース直後の3ヶ月は、正直、開発が楽しくて仕方ありませんでした。毎週何かしら更新を出して、フィードバックをもらって、また直して。「ユーザーと一緒に育てている」という感覚が心地よかったんです。作業ログには毎週コミットが並んでいて、それを見るだけで「ちゃんとやってる」と安心できていました。
でも4ヶ月目あたりから、じわじわとペースが落ちてきました。「今週は忙しかったから」「来週こそ」という言い訳が増えて、気づいたら2週間、3週間とコミットが途切れていました。外から見ると「ちゃんと継続している」ように映っていたかもしれません。でも内側では、すでに燃料が尽き始めていました。
気持ちが冷めていく過程で、もうひとつ気づいたことがあります。機能のアイデアを考えるとき、いつの間にか「これを追加したらレビューが増えるかも」「ストアのスクリーンショットに映える機能かな」という軸で考えるようになっていたんです。
「自分が使いたいか」ではなく、「誰かに刺さるか」を先に考える癖がついていました。それ自体は悪いことではないんですが、気づいたら「誰かに刺さるかわからないまま、なんとなく実装している自分」になっていました。やることリストをこなすだけの感覚。義務感という言葉が、しっくりきてしまうくらいでした。
転機は、ある日届いたDMでした。
「3週間、毎日使っていたんですけど、最近起動するのが億劫になってきて……。なんでだろうと思って、使うのをやめてみたら、逆に気が楽になって。なんか変な感じです」
批判ではありませんでした。むしろ「好きで使っていたのに、なぜか離れてしまった」という正直な戸惑いを、丁寧に書いてくれたメッセージでした。最初は「改善しなきゃ」と焦りました。UXの問題かな、動線が悪いのかな、と頭の中でアイデアを走らせ始めました。
でも、何度か読み返すうちに、別のことが気になってきたんです。
——「あれ、私も最近、自分のアプリが億劫じゃなかったっけ?」
その問いが浮かんだとき、ちょっと笑いそうになりました。3週間毎日使ってくれていたそのユーザーさんより、自分のほうがずっと長く「億劫な状態」だったかもしれない。
そのDMを境に、Lilyは開発するときの問い方を少し変えることにしました。「このユーザーさんに響くか」より先に、「私が今、使いたいと思うか」を問い直す、という小さな転換です。大きな方針転換ではありません。ただ、問いの順番を入れ替えただけです。でも、その順番が大事だったと、あとからしみじみ感じることになります。
それから少し経って、ちょっとした思いつきが生まれました。
アプリを使った後、「今日どんな気分だったか」を一言だけ残せる欄があったら、自分は絶対使うな、と。絵文字でもいいし、ひとこと文章でもいい。誰かに見せるわけじゃないけれど、自分だけの記録として残せる場所。
ユーザーから要望があったわけでも、SNSで見かけたアイデアでもない。「私が欲しいな」という、純粋に個人的な思いつきです。
その機能を実装した夜は、久しぶりに「楽しくてやめられない」という感覚がありました。誰かのために急いでいるわけじゃないから、細部にこだわれる。「ここはこうしたほうが気持ちいいな」という感覚を、久しぶりに優先できました。フォントのサイズを少し変えてみたり、入力欄の余白を調整してみたり、そういう「誰に頼まれたわけでもない微調整」に時間をかけるのが、こんなに楽しかったんだと思い出しました。
翌朝、実装した機能を自分で使ってみたとき、思わず「いいじゃん」と声が出ました。それがすごく嬉しかった。誰かのレビューを待つ前に、自分が使って気持ちよかった。ユーザー数は変わっていない。指標も動いていない。でも、アプリを好きだという気持ちが、確かに戻ってきていました。
その体験から気づいたのは、「自分が使いたいか」という問いを飛ばしたまま作り続けると、どこかで自分が一番の他人になってしまう、ということです。
作り手として「ユーザー目線を持つ」のは大切なことです。でもそれが行き過ぎると、自分自身の感覚が鈍くなっていくような気がします。「私はどう思うか」を後回しにしすぎると、「誰かにとっていいもの」を作ろうとしているのか、「誰かにとってよさそうなもの」を作ろうとしているのか、その違いが見えにくくなってくる。
これは自分への戒めとして書いています。ユーザーのことを考えるのをやめようという話ではなく、そこに「自分はどうか」という軸をちゃんと残しておこう、ということです。
最近は、新しい機能を考えるとき、まず「自分が今週使ったら嬉しいか」を先に答えるようにしています。答えが「まあ便利かな」だったら、少し保留。「あったら絶対使う」だったら、進める。それだけのフィルターですが、開発の熱量がずいぶん変わりました。すべての機能をそのルールで判断しているわけではないけれど、少なくとも「自分の感覚」を軸のひとつに入れるようにした。それだけで、作業が義務から楽しみに戻っていきました。
正直に書くと、今でもあのDMをくれたユーザーさんのことを、たまに思います。その後のご連絡はなく、アプリの中で何か確認できることも特にありません。また使ってくれているのか、全然違うものを使っているのか、わかりません。
でも、あのメッセージが届かなければ、自分の「億劫さ」に気づくのはもっと遅かったと思います。「3週間毎日使っていたけど離れた」という言葉が、「私も似たようなことが起きていたかもしれない」と気づくきっかけになった。他の誰かの正直さが、自分の正直さを引っ張り出してくれた感じです。
アプリへの気持ちが冷めること、それ自体は悪いことじゃないかもしれません。でも「自分が使いたいかどうか」という感覚が薄れていくことは、少し怖いと思っています。それは、ものづくりの一番の燃料が切れるような感じだから。
あの夜追加した小さな機能は、今でもアプリの中でひっそり動いています。使ってくれているユーザーさんが何人いるかは、あまり気にしていません。少なくとも私は、ほぼ毎日使っています。それで十分だと、今は思えています。
個人開発って、誰に褒めてもらえなくても続けられる何かが、たぶん必要だと思うんです。ユーザーの声はもちろん嬉しい。でも「自分が使ってよかった」という実感が、長く続ける力になる気がしています。
もしも今、自分のアプリへの熱が少し冷めているように感じている方がいたら、一度だけ「自分が今、使いたい機能ってなんだろう」と問いかけてみてください。ユーザーのためでも、マーケットのためでもなく、ただ自分のための機能。それが、また好きになれるきっかけになるかもしれません。少なくとも、私にはそうでした。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― マーケ組織50名規模を統括するCMOを経て、いまは個人でiOSアプリやWebサービスを作っています。集客・導線設計と、AI導入・業務自動化の相談を受けています
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