この記事が良かったら
Use "チップをリクエスト" to ask the author to set up tip receiving.

ある夜のことです。特に何か確認したいことがあったわけでもなく、なんとなくアナリティクスのダッシュボードを開きました。習慣というより、癖に近いものでした。作ったものが誰かに届いているかどうか、数字を眺めるだけで何かが満たされる気がして——でも正直なところ、あまり期待はしていませんで…
この記事が良かったら
Use "チップをリクエスト" to ask the author to set up tip receiving.
ある夜のことです。特に何か確認したいことがあったわけでもなく、なんとなくアナリティクスのダッシュボードを開きました。習慣というより、癖に近いものでした。作ったものが誰かに届いているかどうか、数字を眺めるだけで何かが満たされる気がして——でも正直なところ、あまり期待はしていませんでした。 いつもは日本からのアクセスばかりを見ていて、それだけで十分だと思っていました。わたしが日本語で、日本の人向けに作ったものだから、それは当然のことで。画面をスクロールしかけたそのとき、見慣れない国旗のアイコンが目に入りました。 ブラジル、でした。そして、インドネシア。メキシコ。ポルトガル。一度も行ったことのない国々。言葉も文化も、生活のリズムさえも知らない場所に住んでいる誰かが、わたしが一人で作ったものをスマートフォンに入れていた。その事実が、しばらくのあいだ頭の中でうまく処理できませんでした。
個人開発をしている人ならきっとわかると思うのですが、リリースしたあとの静けさというのはなかなかしんどいものです。
会社のプロダクトであれば、チームがいて、レビューがあって、ユーザーインタビューを設定したりもできます。でもわたしの場合は、コードを書いて、デザインを整えて、ストアの審査を通過して、それで——静寂です。誰かに報告するわけでもなく、誰かに褒められるわけでもなく、ただアプリが世界のどこかに存在するようになる。それだけです。
リリース直後というのは、特にそのギャップが大きく感じられます。あれだけ準備して、緊張して、何度もテストして、それでもリリース後の最初の数日間は「誰も気づいていないのかもしれない」という気持ちになります。わたしも最初のアプリのときはそうでした。
ある時期、本当に手が止まりました。ユーザーが増えないわけではなかったのですが、増え方が緩やかすぎて、自分が作っているものに意味があるのかどうか、よくわからなくなってしまったんです。
フィードバックも少なく、星のレーティングは3.2で止まっていて、「こういう機能がほしい」というレビューが来るたびに「それは作れないかもしれない」と萎縮していました。毎朝アナリティクスを確認するのが、だんだん憂鬱になっていきました。それでも作り続けていたのは、やめる理由もなかったから、という消極的な理由でした。
ブラジルのユーザーが何人いたか、具体的な数字はここでは書きません。多くはありませんでした。でも、一人でも確実にそこにいた。
その人のことを、しばらく想像していました。どんな人なんだろう。何に使ってくれているんだろう。わたしのアプリを見つけるまでの経路はどこだったんだろう。別の言語で作られたアプリを使うとき、ちょっと不便だと感じたりしていないだろうか。
会ったこともない、話したこともない、名前も顔も知らない誰かのことを、こんなに真剣に考えたのは初めてでした。
インターネットで何かを公開するということは、理屈の上では世界中に届くはずです。でも、それをリアルに感じたことは、それまでほとんどありませんでした。
SNSの投稿が「バズる」感覚とは違います。あれは明らかに数字が動いて、通知が来て、体温が上がるような感じがします。でもアナリティクスに現れたブラジルのアイコンは、そんな派手さとは無縁でした。静かに、ひっそりと、でも確実に、誰かのスマートフォンの中にわたしのアプリがありました。
その静かさが、かえって深く刺さりました。
あの夜をきっかけに、少し立ち止まって振り返ってみました。この一年、自分は何をして、何を諦めて、何を後回しにしてきたのか。
正直に書くと、やらかしたことのほうが多いです。
英語のストア説明文を機械翻訳で済ませていました。スクリーンショットも日本語のまま放置していました。「どうせ日本のユーザー向けだから」と思い込んで、国際化対応を後回しにしていました。オンボーディング画面は最初期から一度も更新していなくて、正直なところ「これは初見で意味が伝わらないな」と気づきながら放置していました。
それでも使ってくれている人がいる。その事実は、自己嫌悪と感謝が同時に来る、不思議な感触でした。
「よし、全部直そう」と気合を入れても、一人開発では続かないことを経験上知っています。やりきれない量を設定して、自分を追い詰めて、燃え尽きる——そのパターンを何度もやってきました。
だから今回は小さくやることにしました。まず一つだけ。スクリーンショットの一枚目を、英語でも読めるデザインに変えました。それだけです。所要時間は一時間もかかりませんでした。
変えた翌週に、英語圏からのダウンロードが少し増えました。劇的な変化ではないですし、因果関係が証明できるわけでもないですが、「一つ変えた、一つ届いた」という感覚はしっかりありました。
個人開発をしている人の中には、「自分が使いたいものを作る」というスタンスの人が多いと思います。わたしもそうです。外部からの評価より、自分の中の必要性が先にある。
でも正直に言うと、そのモチベーションだけでは限界が来ることもあります。「自分が使えればいいか」と思い始めると、細かい部分の磨き込みが甘くなってきて、アップデートの間隔が開いてきて、そのうちリポジトリを開くのが面倒になってくる。
ブラジルのユーザーを知ったあの夜は、「外から来た理由」が自分の中に入ってきた夜でした。誰かが使っている。それだけで、また続ける気になりました。不思議なことに、その誰かの顔が見えないことで、かえって大きな力になりました。名前や属性がないぶん、いろんな人の像が重なって、「なんとかしたい」という気持ちが具体的になりました。
アナリティクスは便利です。でも数字だけを追っていると、「ユーザー」が記号になっていきます。DAUとかリテンション率とかクラッシュ率とか、そういう言葉に慣れすぎると、一人ひとりの存在感が薄くなる。
今も定期的にアナリティクスを確認しますが、あのブラジルの日以来、国ごとの地図を意識的に眺めるようにしています。「この国の人はどんな使い方をしているんだろう」と想像するだけで、少し視点が変わります。数字の向こうに、生活がある。その感覚を忘れないようにしたいと思っています。
個人開発を続ける理由は、人それぞれだと思います。副業にしたい人、技術を磨きたい人、純粋に作ることが好きな人、ポートフォリオにしたい人。それぞれの理由があっていい。
わたしの場合は、あの夜以来「届ける」ということが、一つの理由になりました。
自分が使いたいものを作る、という出発点は変わりません。でもそこに、「知らない誰かに届くかもしれない」という期待が加わりました。それは努力目標でも義務でもなくて、もう少し柔らかい感覚です。ちょうど瓶にメッセージを入れて海に流すような——届くかどうかわからないけれど、届いたら嬉しい、くらいの気持ち。
チームがあれば心強いですが、一人だからこその自由もあります。誰かの承認を待たずに方向を変えられる。「これはやめよう」と思ったら即決できる。逆に「これ面白い」と思えば深夜でも作り始められる。
一人で続けることの強さは、その機動力にあると思います。ブラジルのユーザーに気づいた夜、その翌朝にはもう「何を直すか」を考えていました。会議を設定する必要も、方針を合意する必要も、誰かの許可をもらう必要もなかった。それは地味に、すごいことだと思います。
この記事を読んでくださっている方は、きっと何かを作っている最中か、作ろうとしているか、あるいは「続けるべきかどうか」と迷っているところかもしれません。
わたしが伝えたいのは、「頑張ってください」ではありません。頑張り続けることは難しくて、頑張れない時期があることもわかっています。
ただ、一つだけお伝えするとしたら。アナリティクスを開いてみてください。地図を見てみてください。知らない国からアクセスがあったら、その国のことを少し想像してみてください。会ったことも話したこともない誰かが、あなたが作ったものを使っている。
その静かな驚きは、「また作りたい」という気持ちに、じわじわと変わっていきます。少なくとも、わたしにはそうでした。
作り続けていれば、いつかブラジルに届く。そう思えることが、今日もわたしが画面を開く理由です。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています