この記事が良かったら
Use "チップをリクエスト" to ask the author to set up tip receiving.

個人開発を始めてしばらくたったころ、Lillyはある朝、自分のアプリのアクセスログをなんとなく眺めていました。特に目的があったわけではありません。ただの習慣のような、呪いのような、毎朝のルーティン。数字が増えていればすこし嬉しい、減っていれば少し落ち込む、それだけの繰り返しです。…
この記事が良かったら
Use "チップをリクエスト" to ask the author to set up tip receiving.
個人開発を始めてしばらくたったころ、Lillyはある朝、自分のアプリのアクセスログをなんとなく眺めていました。特に目的があったわけではありません。ただの習慣のような、呪いのような、毎朝のルーティン。数字が増えていればすこし嬉しい、減っていれば少し落ち込む、それだけの繰り返しです。 そのとき、ひとりのユーザーのIDが、30日間、毎朝ほぼ同じ時間帯に並んでいるのに気がつきました。 胸のなかに、ふたつのまったく異なる感情が、同時に、まるで示し合わせたように押し寄せてきたのを、今でもはっきり覚えています。これは、その話です。
ログの並びを見た最初の数秒は、純粋な喜びでした。「毎日使ってくれている人がいる」という事実は、それだけで何かを証明してくれるような気がして、思わず椅子の背もたれに深く寄りかかりました。
自分が作ったものを、知らない誰かが毎日の生活に組み込んでくれている。それはリリース後何週間も待ち望んでいた感覚でした。「使われている」という実感は、開発中には絶対に得られないものです。
でも、その喜びから3秒も経たないうちに、もうひとつの感情が浮かんできました。
「もしこのアプリが明日突然壊れたら、この人の朝のルーティンが崩れる」
その一文が頭のなかに自動的に生成されて、少しだけ姿勢が正されるような感覚がありました。誇張ではなく、本当にそういう感覚でした。
個人開発をしていると、「誰かに使われたい」という欲求はずっとあります。でも実際に使われ始めると、そこにはすごく微妙な重力みたいなものが生まれます。
依存、とまでは言わないにしても、その人の日常のどこかに自分が作ったものが入り込んでいる。それは嬉しいことであると同時に、「自分が放棄したら終わる」という責任感ともセットです。
チームで作っていれば、その重さは分散されます。でも一人で作っていると、その全部が自分にかかってくる。ログを眺めながら、Lillyははじめてそのことを、頭ではなく体で理解しました。
個人開発は自由だ、と言われます。確かに自由です。好きなものを作れるし、スケジュールも自分で決められる。誰かに許可を取る必要もない。
でもその自由の裏側には、何もかもが自分だけにかかっているという孤独があります。
Lillyが最初のアプリをリリースするまで、約3ヶ月かかりました。その3ヶ月間、ユーザーはゼロです。使ってくれる人がいない状態で、バグを直し、UIを調整し、ストアの説明文を何度も書き直しました。
「誰のために作っているのかわからない」と感じた夜が何度もありました。方向性を確認したくても、相談できる同僚もいない。Slackで誰かに投げる先もない。ただ自分の判断だけで作り続ける。
あの時期の孤独は、今でも思い出すと少しだけ胸がいたくなります。
リリース後、アプリが数時間ダウンしたことがあります。原因はAPIの制限超過という、今思えばあたりまえのことでした。でも当時は原因を把握するのに2時間かかって、その間ずっとひとりで焦っていました。
チームがあれば「ちょっと見てもらえる?」と声をかけられます。でもひとりで作っていると、その声をかける相手がいない。パソコンの前でひとり、エラーログを読みながら、「誰かがこれを使おうとして失敗しているかもしれない」という罪悪感を抱えていました。
あの経験があったから、毎日使っているユーザーのログを見たときに「責任感」という感情が即座に浮かんだのだと思います。
毎日使ってくれているユーザーがいると気がついてから、自分の行動がすこしだけ変わりました。
劇的な変化ではありません。でも具体的な変化が、確かにありました。
それまで、バグに気づいても「あとで直そう」と先送りにすることがありました。誰も使っていないのなら、翌週でもいい、という感覚です。
でも毎日使ってくれている人がいると知ってからは、「今日は面倒だな」という気持ちに抵抗する理由が生まれました。その人の明日の朝に関係するかもしれない、という想像だけで、少し腰が軽くなる。
義務感というより、使命感に近い何か。外から課されるのではなく、自分の中から湧いてくるような感覚でした。
もうひとつ変わったのは、「リリース前に自分で使ってみる」習慣が強まったことです。
以前は「動いているはずだから大丈夫」で済ませていた確認作業を、ちゃんと手で触るようにしました。毎日使っている人の目線で、アプリを開き直す時間を作るようにした。
たった5分のことです。でも「誰かが毎朝これを開いている」という想像があると、その5分をサボれなくなる。
正直に言うと、Lillyは「モチベーション」という言葉があまり好きではありません。
モチベーションは浮き沈みします。調子のいい日は高く、体が疲れているときや、コンペティターの新機能を見たときは一気に下がる。そういうものに作るペースを左右されていると、個人開発はとても脆いものになる。
でも「毎日使ってくれているあの人の明日」は、そこまで揺れません。
感情ではなく事実だからです。その人が今日もログインしているというのは、気分に関係なく存在する現実です。モチベーションを保つ努力をしなくても、その事実が自然と背中を押してくれる感覚があります。
もちろん、Lillyはそのユーザーが誰なのか知りません。どんな生活をしていて、どんな気持ちでアプリを使ってくれているのかも、想像するしかない。
でもそれでいいと思っています。
顔も名前も知らないまま、その人の朝のどこかに自分が作ったものが存在している。それはとても不思議な関係ですが、個人開発の最も純粋な形のひとつだと感じています。リリースノートにお礼を書いた人の顔は見えないけれど、使い続けてくれていることは数字が教えてくれる。
個人開発者のコミュニティを眺めていると、「なぜ作るのか」という問いは、けっこう頻繁に出てきます。
お金のため、自分の課題を解決するため、技術を磨くため、作ることが好きだから。どれも正直な答えだと思います。Lillyも最初は「自分が使いたいから」というところからスタートしました。
でも毎日使ってくれているユーザーの存在を知ってから、その答えに少しだけ別の文が加わりました。
「あの人の明日のために、今日も直す」
これは大げさな使命感ではありません。もっと小さく、もっと静かなものです。朝ごはんを作るような感覚に近い。誰かが食べてくれるとわかっているから、今日も作る。それだけのことです。
一人で責任を持つことの重さは、消えるわけではありません。何かがダウンしたとき、依然として助けに来てくれる人はいないし、設計ミスに気づいたときに「どうする?」と話し合える相手もいない。
でもその孤独の意味が、少し変わりました。
一人で責任を持つことは、「一人が全部を背負う」というしんどさである同時に、「全部が自分の決断でできている」という誇りでもある。その誇りを持てるのは、使ってくれている誰かがいるからです。使われていない状態では、孤独はただの孤立です。依存してくれている誰かがいてはじめて、孤独が「意味のある孤独」になる。
今、個人開発をしていてしんどいと感じている方がいれば、ひとつだけ聞いてみてほしいことがあります。
「今のアプリを、もし誰かが毎日使っていたら、あなたはどうしますか?」
リリースしていなければ、想像の話です。ユーザーがまだ少なければ、まだ先の話です。でもその問いに答えてみると、自分がこれを続ける理由が、少しだけクリアになるかもしれません。
Lillyはあの朝のログの並びを今でも時々思い出します。きれいな感動話ではなく、喜びと責任感が混ざり合ったあの感覚を。
あの感覚が、今も一人で作り続ける理由のひとつです。
顔も名前も知らない誰かの朝に、自分が作ったものがいる。それだけで、今日もエディタを開く理由になります。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています