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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

アプリに名前をつけたのは、リリース前夜でした。 いや、正確には「つけざるを得なくなった」が正しいかもしれません。App Storeの申請フォームを開いたら、最初のフィールドに「App Name」とありました。そこに何かを入力しないと先に進めません。つまり私は、何ヶ月も「あのアプリ…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
アプリに名前をつけたのは、リリース前夜でした。 いや、正確には「つけざるを得なくなった」が正しいかもしれません。App Storeの申請フォームを開いたら、最初のフィールドに「App Name」とありました。そこに何かを入力しないと先に進めません。つまり私は、何ヶ月も「あのアプリ」と呼んでいたものに、ついに名前をつける必要があったのです。 このエッセイは、その夜のことを書きたくて手を動かしました。名前をつけた瞬間、何かが変わった気がして——うまく言葉にできないまま日が経ちましたが、同じように個人開発をされている方なら、似たような体験があるかもしれません。そんな気持ちで書いています。
開発中、私はそのアプリを一度も名前で呼んだことがありませんでした。「ルーティン管理のやつ」「習慣アプリ」「最近作ってるもの」——そういった呼び方で済ませていました。
不思議なのは、それで全然困らなかったことです。自分の中だけで存在しているものには、名前なんていりません。誰かに説明するときも「ちょっと作ってるアプリがあって」と言えば伝わります。コードにはファイル名があり、リポジトリには管理用のIDがあります。それで十分でした。
でも今思うと、名前がなかった間、そのアプリは「概念」でしかなかった気がします。私の頭の中にある、まだ形になっていないアイデアと大して変わらない何か。画面を作り、ロジックを書き、テストを通していても、それは「作業中のプロジェクト」であって、「作品」ではありませんでした。
誰かに見せようとした瞬間に、初めて「名前がない」ということに気づきます。友人に「ちょっと使ってみてほしいんだけど」と伝えたとき、相手が「なんていうアプリ?」と聞いてきて、返答に詰まりました。
「まだ決めてないんだよね」と答えると、相手は少し困った顔をしました。いや、困っていたのは私のほうだったかもしれません。名前がないものを人に渡すのは、こんなにもぎこちないのか、と初めて実感しました。
名前を考え始めると、止まらなくなります。
最初は英単語を探しました。シンプルで覚えやすくて、発音しやすいもの。「Habit」「Flow」「Stride」「Loop」……でも調べると全部すでにあります。そりゃそうです。世界中の個人開発者が、同じことを考えて同じ英単語に辿り着いているのですから。
次は造語に挑戦しました。二つの単語を組み合わせて「HabitFlow」とか「DailyStride」とか作ってみます。悪くはないけれど、どこかで見たような気がしてしまう。自分の作ったものの名前なのに既視感があるのが悔しくて、さらに考え続けました。
ある程度候補が絞れてきたところで、ドメインを調べます。これが予想以上に心をへし折ります。
「これだ」と思った名前のドメインが、ことごとく取られていました。.comはもちろん、.appも.ioも。とっくに誰かが使っていたり、ドメインブローカーが高値で売り出していたりします。「いや、アプリにドメインは絶対必要じゃないし」と自分に言い聞かせながら、でもやっぱり諦めきれなくて、また別の名前を考える。この繰り返しを、三日間やりました。
正直なところ、このフェーズは楽しくありませんでした。理想を現実の制約にぶつけ続ける作業で、なんとなく自分のアプリが「狭い場所に押し込められている」感じがしました。
諦め半分で、ある夜、日本語の言葉を起点に考えてみました。「続ける」「積む」「刻む」「習う」——大切にしたい動詞を書き出して、そこから音を作ります。
そうして出てきた一つの言葉が、なんとなくしっくりきました。音の響きが気持ちいい。意味も軽すぎず、重すぎない。ドメインも(完璧ではないですが)取れる形の組み合わせが見つかりました。「これにしよう」というより「これでいいや」の感覚でしたが、それで十分でした。
決定打は、アイコンでした。
デザインツールでアプリアイコンを作っていて、背景色と形だけのシンプルなデザインがほぼ完成した頃、そこに名前の頭文字を入れてみました。フォントを選んで、サイズを調整して、色を合わせて——その作業自体は10分もかかっていません。
でもその瞬間、画面の前で少し固まりました。
なんというか、急に「本物」に見えたんです。さっきまで私の手の中にあったものが、急に遠くに行ってしまったような——でも悪い意味ではなくて、「あ、これ、ちゃんとしたアプリだ」と思えました。今まで「作業中の何か」だったものが、名前と顔を持った瞬間に、別の何かになりました。
うまく説明できないのですが、「作品になった」という感じがしました。私の手元を離れて、世界の中に存在できるものになった、と。
後から考えると、名前にはすごい力があるのだと思います。
名前をつけることは、「これはこういうものだ」と宣言することです。無限の可能性を持っていたアイデアに、輪郭を与えます。同時に、それ以外のものになる可能性を手放す作業でもあります。
個人開発をしていると、ずっとアイデアをふくらませ続けることができます。「こういう機能もいいな」「ターゲットはこの人たちかな」「いや、もっと広くてもいいか」——名前がない間は、全部が可能性のまま宙に浮いています。それは心地よくもあるけれど、どこか実体がありません。
名前をつけることで、アプリははじめて「何か」になります。完全ではないかもしれないし、最初につけた名前が最善かどうかもわかりません。でも、名前のないものは外に出ていけません。誰かに呼んでもらえません。
私が体験したのは、「プロジェクトが作品になる瞬間」だったのかもしれません。
プロジェクトは自分のためのもので、作品は誰かのためのもの——そんな定義は正確ではないかもしれませんが、感覚としては近い気がします。名前をつけた瞬間、私はそのアプリに対して「これを誰かに届けるつもりがある」と自分に認めました。それが、何かを変えたのではないかと思っています。
実は、今のアプリの前に、名前で失敗したことがあります。
一年ほど前に作ったアプリに、思いっきりダサい名前をつけてリリースしました。当時は「まあ名前より機能だし」と気にしていなかったのですが、友人に見せたとき「名前がちょっと……」と言われてしまいました。
傷つきました。でも正直、自分でもうすうす思っていたんです。名前に自信がないから、誰かに「どのアプリ使ってる?」と聞かれても、アプリ名を言えずにURLを送っていました。名前を声に出せないアプリは、口コミで広がっていきません——当たり前のことを、身をもって知りました。
その失敗があったから、今回は名前に時間をかけました。三日間の迷走も、無駄じゃなかったと思っています。
個人開発をされている方の中には、まだ名前をつけていないアプリがある方もいるかもしれません。
「まだリリースするか決めていない」「もう少し完成してから」「名前なんてどうせ後で変えられる」——そういう気持ち、すごくわかります。私も長い間そう思っていました。
でも、名前をつけることは、リリースを決めることじゃないと思います。ただ、「これに名前をあげよう」と決めること。赤ちゃんに名前をつけるように、まだ世界に出る前でも、「この子には名前がある」という状態にしてあげること。
名前をつけた瞬間から、不思議と愛着が増す気がします。「あのアプリ」が固有の名前になった瞬間、私の中での扱いが変わりました。もっと丁寧に作ろうと思えました。なんとなく投げ出しにくくなりました。
名前には、作り手を守る力もあるのかもしれません。
あれから数ヶ月経ちました。今のアプリは、小さいながらも毎日使ってくれているユーザーさんがいます。レビューで名前を呼んでもらえたとき、なんとも言えない気持ちになりました。
「私が名前をつけたものが、誰かの言葉の中で生きている」——そう感じたとき、あの前夜の迷走も、三日間の候補探しも、全部が意味のある過程だったと思えました。
あなたの手元に、まだ名前のないコードがありますか。もし良ければ、今夜、名前をつけてみてください。完璧じゃなくていい。変えてもいい。ただ、名前をあげることで、それはきっと少しだけ、現実になります。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています