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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

最初に値段を決めた日のことを、今でもよく覚えています。 自分が作ったものに金額を入力する画面を前にして、10分以上カーソルを動かせずにいました。「高すぎる」「誰も買わない」「そもそもこれに払う価値があるのか」——そういう声が頭の中でぐるぐると回って、気づいたら980円と打ち込んで…
この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
最初に値段を決めた日のことを、今でもよく覚えています。 自分が作ったものに金額を入力する画面を前にして、10分以上カーソルを動かせずにいました。「高すぎる」「誰も買わない」「そもそもこれに払う価値があるのか」——そういう声が頭の中でぐるぐると回って、気づいたら980円と打ち込んでいました。根拠のない金額でした。ただ、なんとなく「これなら許してもらえる」と思った数字です。 そして半年後、思い切って価格を3倍近くに上げました。怖かったです。本当に怖かった。でも驚いたことに、そのとき初めて、ちゃんとした形で「買ってもらえた」という実感を持てました。この記事は、そのときに気づいたことを正直に書いたものです。同じように、自分の作ったものに値段をつけることが怖い人に向けて。
最初のプロダクトを出したとき、Lilyは価格設定を「謙虚さ」だと思っていました。「まだ完璧じゃないから」「初めてだから」「実績もないから」と、安さに正当な理由があるように感じていたんです。
でも今振り返ると、あの980円は謙虚さじゃなかったと思います。あれは「ごめんなさい」でした。お金を払ってもらうことへの罪悪感をあらかじめ緩和するための、自己防衛の価格でした。
売れなかったとしても「まあ安かったし」と納得できる。高く設定して売れなかったら、自分の作ったものが明確に否定される気がして怖かった。安くしておけば、少なくとも「値段のせい」にできる。そういう保険をかけていたんだと思います。
最初の数ヶ月で、何件かは売れました。でも、なぜか満足感がなかったんです。売れた通知が来ても、「あ、売れた」と思うだけで、嬉しいというより「ほっとした」という感覚でした。
そのころ届いたフィードバックの多くは「安いし試してみた」という文脈のものでした。それ自体は悪くないんですが、何かが引っかかっていました。後から気づいたのですが、Lilyは「この人に届いた」という実感が欲しかったんだと思います。「とりあえず試した」ではなく、「これが必要だと思って買った」と思ってくれている人に届いた感覚が。
低価格はその感覚を遠ざけていました。真剣な購買動機のある人と、流し買いの人を、同じ入口に引き込んでいたんです。
ある日、似たような個人開発のツールをいくつか調べていたら、明らかに機能が少ないものが、Lilyのプロダクトの倍以上の値段で売られているのを見つけました。しかも、そこにはちゃんとレビューが積まれていました。
正直、最初は少し腹が立ちました。「なんでこっちの方が安くて、あっちが高いんだろう」と。でもすぐに気づいたんです。腹が立つということは、自分のプロダクトの方が価値があると、自分でも思っていたということです。
それなのに値段は低い。おかしいですよね。
値上げを決意したといっても、一晩悩みました。「今まで安さで買ってくれた人が離れる」「急に高くなったと思われる」「そもそも今より売れなくなる」——いろんなことが頭をよぎりました。
Lilyが自分に言い聞かせたのは、「もし失敗しても、それは情報だ」ということでした。値上げして売れなくなったなら、その価格が市場とずれているという情報が手に入る。値上げして変わらず売れたなら、もともと価格が適正ではなかったという情報が手に入る。どちらに転んでもゼロにはならない、と。
頭では分かっていても、指が動くまでにまた少し時間がかかりましたが、それでも値段を変更しました。2,800円に。
値上げ直後の1週間は、正直なところ購入がありませんでした。「やっぱりそうか」と少し落ち込みました。でも10日ほどたったころ、少しずつ購入が入り始めました。
数だけを見ると、月単位では前より多かったわけではありません。でも体験がまったく違いました。購入後に届くメッセージの温度が変わっていたんです。「ちょうどこれが欲しかった」「探していたものがあった」という書き方をしてくれる人が増えました。
届く人が変わったんだと思います。「安いから試す」という入口ではなく、「これが必要だから買う」という入口から来てくれる人が増えた。価格がフィルターになっていたんです。いい意味で。
もう一つ変化したのが、フィードバックの中身でした。以前は「動きました」「使ってみます」という浅いものが多かったんですが、値上げ後は「こういう使い方をしている」「ここをこう変えたらもっと使いやすい」という具体的な声が届くようになりました。
お金を払った分、真剣に使ってくれる。当たり前のことかもしれないですが、低価格のときには実感できていなかったことでした。
値上げをして少し落ち着いたころ、Lilyはずっと引っかかっていた問いに向き合いました。「なぜあんなに安くしたかったのか」。
技術的な自信がなかったから、という説明は半分しか当たっていませんでした。実際、機能への自信はそれなりにありました。動くし、ちゃんと価値があると思っていた。
でも「自分が作ったもの」への評価が低かったんです。
他の人が同じものを作ったら、Lilyはちゃんとお金を払えると思っていました。でも自分が作ったものには払えない気がした。なぜか。「自分が作ったものだから」という、それだけの理由で。自分には甘くなれなかったんじゃなくて、自分に対して厳しすぎたんだと思います。いや、正確には——自分の作ったものには値段をつける資格がないと、どこかで信じていたんだと思います。
個人開発をしている友人と話していたとき、同じ悩みを打ち明けてくれました。「もう少し機能が増えたら、ちゃんとした価格にしようと思っている」と。
Lilyはそれを聞いて、過去の自分を見ているような気持ちになりました。「もう少し」は来ないんです。機能が増えたら、また「もう少し」が出てきます。「いつか自信がついたら値段を上げよう」という発想では、ずっと上げられない。
自信がつくから値段を上げるんじゃなくて、値段を上げることで自信がついていく、というのが実際の順序だったと思います。少なくともLilyにとっては。
「値上げしてみては」と言っても、いきなり大きく動く必要はないと思っています。Lilyが最初にやったのは、新しいプランを1つ追加するだけでした。既存の価格はそのままに、上位のプランを作って様子を見た時期もありました。
完全に切り替えたのは、それから少し後のことです。段階的に動けたことで、怖さが少し和らぎました。
もし今、値段を上げることに怖さを感じているなら、まず1,000円だけ上げてみることを試してほしいと思います。「1,000円高くなったことで、買う人が激減するか」を確かめるだけでも、情報として価値があります。
結果がどうであれ、それは自分のプロダクトと市場の関係性を理解するためのデータです。失敗も成功も、何も試さないよりずっと前に進んでいます。
正直に言うと、今も値段を変えるときは少し怖いです。新しいプロダクトを出すたびに、あの「カーソルが動かない感覚」は少しだけ戻ってきます。
でも怖さの中身が変わりました。以前は「自分に資格があるのか」という怖さでした。今は「この価格でちゃんと届くか」という怖さです。前者は自己評価の問題で、後者は市場との対話の問題です。後者の怖さは、行動することで答えが出ます。
値段を上げたから全部うまくいった、というきれいな話ではありません。値上げが合わなかったプロダクトも正直ありました。でも少なくとも、あのとき動いてみたことで、Lilyは「自分の作ったものに値段をつける」ことへの向き合い方が変わりました。
怖くて当たり前です。でもその怖さは、技術の問題ではなく自己評価の問題かもしれない。もしそうなら、少しだけ動いてみることで、少しだけ景色が変わるかもしれません。Lilyはそれを、980円のあの日に知りたかったと思っています。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています