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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

エッセイを書きます。 アプリをリリースしてから、しばらくの間、Lilyは誰にも見せていませんでした。SNSに告知ツイートを投げたこともありましたし、友人に「作ってるよ」と話したこともあります。でも「実際に使ってみて」とスマホを差し出したことは、一度もなかったのです。 怖かったのだ…
この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
エッセイを書きます。 アプリをリリースしてから、しばらくの間、Lilyは誰にも見せていませんでした。SNSに告知ツイートを投げたこともありましたし、友人に「作ってるよ」と話したこともあります。でも「実際に使ってみて」とスマホを差し出したことは、一度もなかったのです。 怖かったのだと思います。詰まられたくなかった。「ここ、どういう意味ですか」と聞かれたくなかった。作った本人が「え、わかりませんか」と返す場面を想像するだけで、胃のあたりがむずむずしました。 その怖さを乗り越えたのは、ある個人開発者向けの小さな集まりに参加したときでした。会場の隅で「よかったら使ってみてください」と声をかけて、スマホを差し出した。相手がそれを受け取るまでの、あの5秒間。今日はその話を書きます。
最初にアイデアを思いついてから、そのアプリを公開するまでに半年かかりました。毎晩少しずつ進めて、週末にまとめて設計を見直して、ようやく「これで行ける」という状態にたどり着きました。
機能の一覧は最初に決めたものをすべて実装しました。デザインも何度も見直しました。色の組み合わせ、ボタンの大きさ、文言のトーン。全部ひとつひとつ自分で確認して、「使いやすい」と思えるところまで仕上げました。
でも今振り返ると、その「使いやすい」という感覚は、全部Lilyのものでした。設計を知っている人間が、使い方を知った状態で触ったときの感触です。頭の中に地図がある状態で「迷わない」と言っているのと同じで、そもそも地図のない人のことを、何ひとつ考えていませんでした。
ユーザー視点を持ちましょう、とはよく言われます。Lilyも言葉としては知っていました。ペルソナを考えたり、ユーザージャーニーを書いたりしたこともあります。でもそれはあくまで「Lilyが想像した誰か」の話で、実在する別の人間が画面に初めて触れる瞬間とは、全く別のことでした。
知識の呪縛、という言い方があります。何かをよく知っている人は、それを知らない人の気持ちを想像しにくくなる。作り手は、自分のアプリについて世界で一番詳しい人間です。だからこそ、自分の地図を外して見ることが、一番難しい。そのことを、スマホを渡して初めて身体で理解しました。
イベントの休憩時間、同じく個人開発をしているという方に声をかけました。「よかったら使ってみてもらえませんか」。自分でも驚くくらい緊張した声が出ました。
相手は快く「いいですよ」と言って、スマホを受け取ってくれました。その瞬間から、5秒か10秒か、体感ではもっと長い沈黙が続きました。トップ画面を見つめている相手の顔を、Lilyはほとんど息を止めたまま見ていました。
「どこから始めればいいですか?」
その一言で、固まりました。トップ画面には4つのボタンが並んでいて、Lilyには当然の配置でした。でも相手には、どれが入口なのか見えていなかった。4つのボタンが等価に見えていたのです。
その後も、小さな「詰まり」がぽつぽつと現れてきました。あるボタンを押す前に一瞬だけ指が止まる。ある画面でスクロールできると気づかずに、そのまま静止する。「ここは絶対わかるだろう」と思っていた部分で、相手の指がふわっと迷う。
分析ツールでは、どの画面でユーザーが離脱したかは分かります。でも「なぜそこで止まったのか」は分からない。目の前で見ていると、その「なぜ」が相手の表情と指の動きと、ときどき漏れる小さな声で全部出てくるのです。画面越しのデータには絶対に乗ってこない情報が、そこにありました。
テスト中、相手は何かに詰まっても、すぐには声に出しませんでした。少し考えて、また触ってみて、それでも分からなかったときにようやく「これってどうやるんですか」と聞いてくれる。聞いてくれるまでの間、その人の中では何かが起きているのですが、それは声になりません。
ユーザーテストのやり方を書いた記事には「口に出して考えてもらいましょう」とよく書いてあります。それは正しいと思いつつ、初対面の人に「考えながら話してください」とお願いするのは、Lilyには難しかったです。だから最初は静かに隣で見ていて、詰まりが長く続いたときだけ「何か気になる部分はありますか」とそっと聞く、というやり方にしました。
親切な人ほど、困っていてもポジティブなことを言ってくれます。「使いやすいと思います」「デザインかわいいですね」。その言葉はシンプルに嬉しくて、それだけで来てよかったと思えるくらいです。
でも作りを良くするための情報という意味では、詰まった瞬間の沈黙の方がずっと価値がありました。言葉ではなく、指の動きを見る。止まった場所を覚えておく。その人が「あ、これか」と気づいた瞬間に何が見えていたかを観察する。そういうことが、データには絶対に現れないことでした。
正直に言うと、人に見せたくなかった一番の理由は、「つっかえてほしくなかった」からです。スムーズに使ってほしい。詰まられると、作った自分が否定されるような気がしていました。
でも実際に見せてみると、詰まった場所でLilyが否定される感覚よりも、「直す場所が見えた」という感覚の方が強かったのです。むしろ、詰まってくれてよかった、とすら思いました。しかもその人はわざわざ時間を使って触ってくれている。その行為自体がもうすごくありがたくて、否定されているとか自分が試されているとか、そういう気持ちはほとんどなくなっていました。
半年かけて作ったものを、初めて人に渡してみた5分間で、設計を見直すべき場所が3つ見つかりました。トップ画面の導線、スクロール可能な画面の視覚的なヒント、そして特定の操作のフィードバックの遅さ。どれも「言われてみれば当然」の問題でした。
もし人に渡すことを怖がったまま、さらに半年かけて機能を積み上げていたら、修正の規模はずっと大きくなっていたはずです。早く失敗した方がいい、とよく言います。でも「失敗」という言葉が重くて、なかなか動けませんでした。「早く小さく恥をかいた方がいい」と言い換えたら、Lilyには少し動きやすかったです。
その日の夜、メモに書いたことが3つあります。
ひとつ目は、トップ画面の入口が分からないこと。4つのボタンを等価に並べていたせいで、最初に何をするべきかが伝わっていませんでした。直し方は単純で、2つに絞って、最初のアクションだけを強調するようにしました。
ふたつ目は、スクロールできる画面でそれが分からないこと。下に続きがあるのに、画面の端でコンテンツが途切れて終わっているように見えていました。少し内容を見切れさせることで、続きがあることを示すように変えました。
みっつ目は、操作の結果が返ってくるまでの間に何も起きていないように見えること。処理中であることを示す表示がなくて、壊れたと思われていたようでした。
どれも「そりゃそうだ」という修正ばかりです。でも言われなければ、気づかなかった。というより、気づこうとしていなかったかもしれません。自分の地図の中だけで完結させていて、地図のない人が画面のどこを見るかを、想像すらしていませんでした。
修正した画面を、またあの方に見せたいと思っています。どう変わったかを確かめたい。それが今、次のモチベーションになっています。
個人開発って、ほとんどの時間がひとりです。アイデアを考えるのも、設計するのも、実装するのも、テストするのも、ひとり。それが好きで続けているのですが、どこかで煮詰まる感覚もある。自分が正しいのか間違っているのか、誰も教えてくれないまま進んでいく感覚。
あの5秒間は、その「ひとり」から少しだけ外に出た瞬間でした。自分が作ったものが、別の人の手の中で動いている。詰まった場所も、うまくいった場所も、全部目の前で見えた。それだけで、半年間のひとり作業が少し報われた気がしました。
うまく使ってもらえなかったところは、直す場所です。うまく使ってもらえたところは、信じていい場所です。どちらも大事で、どちらも画面の外でしか確かめられませんでした。
またスマホを渡したいです。今度は最初から「どこで止まるか教えてください」と言えると思います。あのとき震えていた手が、少し落ち着きました。それだけで、ずいぶん前に進んだ気がしています。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています