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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

三日間、ほぼ同じ場所だけを見ていました。 アプリのトップ画面に置いたカードが、タップしたときにふわっと浮き上がるアニメーション。0.2秒か、0.25秒か。イージングはどうするか。誰かに「こうすべき」と言われたわけでもなく、ユーザーから「ここが気になる」と言われたわけでもありません…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
三日間、ほぼ同じ場所だけを見ていました。 アプリのトップ画面に置いたカードが、タップしたときにふわっと浮き上がるアニメーション。0.2秒か、0.25秒か。イージングはどうするか。誰かに「こうすべき」と言われたわけでもなく、ユーザーから「ここが気になる」と言われたわけでもありませんでした。ただ自分が、なんとなく引っかかっていました。 結果として、誰にも気づかれませんでした。リリース後にもらったフィードバックには、そのアニメーションへの言及がひとつもありませんでした。三日間かけた作業は、世界にとって存在しないも同然でした。でも不思議なことに、私はまったく後悔していません。今日はその話を書こうと思います。
最初はちょっとした気になりから始まりました。カードのアニメーション、なんかぎこちない気がする。そう思いながら他の作業に移ろうとするのですが、どうしても頭の隅から離れません。
個人開発をしていると、「あとで直す」という言葉を何度も使います。機能が優先、細部は後回し。それ自体は正しい判断で、そうしないとリリースまでたどり着けません。私もそのルールで動いていました。
でもあのアニメーションは、「あとで」に回せませんでした。理由は単純で、開くたびに目に入るからです。他のページを作っていても、別の機能を調整していても、テストのたびにトップ画面を通ります。そのたびに「あ、また」となってしまいます。
結局、作業を中断してアニメーションに向き合いました。0.2秒で試して、0.25秒で試して、0.3秒まで伸ばしてみて、また戻して。実機で確認して、シミュレーターで確認して、朝と夜では感覚が違うことに気づいて、また調整して。気がついたら三日が経っていました。
リリースしました。ありがたいことに、使ってくれた人がいて、フィードバックをもらえました。「使いやすかった」「この機能いいね」「ここが少し分かりにくかった」——いろんな声をもらいました。
でも、あのアニメーションについては、誰も何も言いませんでした。
最初にそれに気づいたとき、少しだけ苦笑いしました。三日間、ここにいた。誰にも届かなかった。徒労だったかなとも思いました。もっとランディングページを丁寧に作るべきだったか、もっと説明文を磨くべきだったか、費やした時間を別の場所に使えばよかったか——そんな考えがぐるっと頭を回りました。
でも、その苦笑いはすぐに消えました。
誰も言及しなかったけれど、私は知っています。あのカード、ちゃんと浮いています。タップするたびに、正しい速度で、正しい重さで動いています。
使っている人が意識しないということは、むしろ成功に近いのかもしれません。気になるものは気になるし、自然なものは自然に流れていく。そして、あのアニメーションを直してから、私のアプリへの向き合い方が少し変わりました。「これは自分が作ったものだ」という感覚が、確かに増した気がします。
個人開発をしていると、見えない仕事がたくさんあります。ログの整理、エラーの処理、読まれない説明文、使われない設定画面。そういうものを丁寧にやっても、誰も褒めてくれません。ユーザーには見えないし、数字にも現れにくい。
でも私は、あの三日間で気づきました。細部に向き合う行為は、他者への贈り物というより、自分自身への問いかけなのかもしれない、と。
「これでいいか」ではなくて、「これが好きか」を聞いていました。
誰にも評価されない選択を積み重ねることで、作品は少しずつ「自分のもの」になっていく気がします。ユーザーが体験するのは表面ですが、その表面を支えているのは、誰も見ない地層です。その地層を自分で納得して積んでいくことが、長く作り続けるための燃料になっているのではないかと思うようになりました。
ただ、正直に言うと、細部にこだわりすぎて詰まってしまうこともあります。あるボタンの角丸、8pxにするか12pxにするか、半日考えて決められなくて作業が止まったこともありました。
そういうときは、タイマーを使うようにしました。10分だけ考える。それで決まらなければコインを投げる。完璧な答えより、前に進むことを選ぶ。「こだわること」と「こだわり続けること」の違いを、少しずつ学んでいます。
角丸の話が出たので、もう一つ正直に話します。
あるとき、テキストと画像の間の余白を1ピクセル調整しました。文字通り、1ピクセルです。デザインを勉強している友人に見せたら「変わってないじゃん」と言われました。自分でも、スクリーンショットを並べて見比べても違いが分からないレベルでした。
でも、実機で操作したとき、私には違いが分かりました。なんというか、余裕があった。詰まっていない感じがした。それが「気のせい」なのか「本当の違い」なのかは、今でも分かりません。
ただ、その感覚を信じて調整することが、私が作り手としてまだ自分の感覚で動いている証拠のような気がして。機能ではなく感覚に従う瞬間が、個人開発の中でいちばん「自分でやっている」という手ごたえを感じる瞬間です。
SNSで発信しないこだわりがあってもいいと思っています。ブログに書かない改善があってもいいと思っています。「誰かに伝えるため」ではなく「自分が納得するため」の作業は、恥ずかしくないし、むしろ必要なものだと思うようになりました。
アウトプットしていないから意味がない、誰にも見えないから無駄だ——そういう声が、個人開発をしていると内側からも外側からも聞こえてくることがあります。でも私は、あの三日間が「伝わらなかった」からといって「なかったこと」にはなっていないと感じています。
個人開発は孤独です。レビュアーもいないし、デザイナーもいないし、「それ良くなったね」と言ってくれる隣のチームメンバーもいません。自分で作って、自分で確かめて、自分で判断する。
その孤独は、つらいときもあります。締め切り前でも背中を押してくれる人がいないし、詰まったときに「まあそれくらいでいいよ」と言ってくれる人もいません。全部、自分の中で折り合いをつけるしかない。
でも、あのアニメーションに三日向き合った経験を経てから、少し見え方が変わりました。孤独だからこそ、誰の評価も通さない選択ができます。孤独だからこそ、0.05秒の違いに三日使えます。それは、チームで作るものにはない自由です。
もちろん、フィードバックは大事です。ユーザーの声は聞くべきだし、数字は見るべきだし、一人で作っていても客観的な目を持つ努力は必要だと思っています。
でも、それと「細部を自分で判断する」ことは、矛盾しません。外からの声を受け取りながら、内側の感覚も大切にする。その両方を持てるのが、個人開発者の強みのひとつかもしれないと、最近は感じています。
あのアニメーションは、誰にも気づかれませんでした。でも私は今日も、あのカードを開くたびに少しだけ嬉しくなります。ちゃんと動いています。自分が納得した速さで、動いています。
誰も気づかない細部は、作り手を支える細部でもあります。ユーザーに届かなくても、自分には届いています。そう思えるようになってから、作ることが少し好きになりました。
誰にも気づかれないこだわりを、あなたも持っていますか。もしそうなら、それはたぶん、あなたの作品がちゃんとあなたのものになっている証拠だと思います。そのこだわりを、捨てないでいてください。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています