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リリースボタンを押した夜のことを、今でもよく覚えています。ダッシュボードを何度も開いては閉じて、通知が来るたびに画面を確認して、それでも何も起きなくて。「まあ、最初はこんなものだよね」と自分に言い聞かせながら、ちょっとだけ眠れない夜を過ごしました。 最初の1週間は、まだよかったん…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
リリースボタンを押した夜のことを、今でもよく覚えています。ダッシュボードを何度も開いては閉じて、通知が来るたびに画面を確認して、それでも何も起きなくて。「まあ、最初はこんなものだよね」と自分に言い聞かせながら、ちょっとだけ眠れない夜を過ごしました。 最初の1週間は、まだよかったんです。「今からだ」「じわじわ広がるかも」という期待が、焦りを薄めてくれていました。でも2週間、3週間と経っても数字がほとんど動かないと、だんだん何か違うものが積み重なってきました。焦り、というより、じわじわと広がる虚無感、みたいなものです。 この記事は、そんな「何も起きなかった1ヶ月」のことを書いています。技術的な話でも、マーケティングの話でもなくて、あの時期に自分の中で何が起きていたか、どうやって気持ちを立て直したか、という話です。同じような場所にいる人に届いたら、うれしいです。
リリースしたのは、平日の夜でした。SNSに投稿して、いくつかのコミュニティにも共有して。最初の数時間は、ほんの少しだけ反応がありました。「いいね」が数件、コメントが1つ2つ。「ありがとうございます」と返事をしながら、胸の中に小さな温かさが灯った気がしました。
でも翌朝、ダッシュボードを開くと、数字はほとんど変わっていませんでした。ダウンロード数、数件。収益、ゼロ。アクティブユーザー、ほぼゼロ。「昨日のことがあったし、まだこれから広がるかも」と自分を励ましながら、仕事に向かいました。
1週間経っても、大きな変化はありませんでした。ちょこちょこと数字は動くものの、それが本当に誰かに使われているのかすらよくわからない微妙な数値。毎日ダッシュボードを確認するのが、少しずつ怖くなってきました。
2週間目に入ると、確認の頻度が下がっていきました。怖いというより、「どうせ同じだろう」という気持ちが先に立つようになったんです。あれほど楽しみにしていたダッシュボードを、開かない日が出てきました。
最初の焦りは「何か行動しなきゃ」という前向きなエネルギーを持っていました。SNSの投稿を増やしてみたり、説明文を書き直したり、スクリーンショットを差し替えたりしました。できることを手当たり次第やってみる、みたいな時期です。
ただ、その行動が実を結んでいるのかわからないまま続けるのは、思ったよりも消耗します。投稿をしても反応がなく、説明文を直しても数字が動かず、「何をやっても変わらないんじゃないか」という感覚が少しずつ染み込んできました。
焦りが形を変えたのは、このあたりです。最初は「何かしなきゃ」だったのが、「何をしても無駄かもしれない」になっていきました。これはつらかったです。行動することへの意欲が、じわじわと削れていく感じがしました。
そういう状態のとき、Xやコミュニティのタイムラインがつらくなってきました。誰かがリリースして「初日からダウンロードが〇〇件!」と報告しているのを見ると、心のどこかがずきっとします。「自分には何が足りないんだろう」「作るものが悪いのかな」と考えはじめると、なかなか止まれないんですよね。
比べること自体は仕方ないと思います。でも、止まっている自分と動いている誰かを並べて眺めていると、自分のことがどんどん小さく見えてきて。それが一番しんどかったかもしれません。
3週間を過ぎたころ、ふと気がついたら、アプリのことをあまり考えなくなっていました。ダッシュボードも見なくなって、SNSでの発信も止まっていました。「諦めた」というより、「そこに向き合うことから距離を置いた」という感覚に近かったです。
でもこれが、また別のしんどさを連れてきました。「動けていない自分はダメだ」という感覚です。個人開発って、やめても誰に怒られるわけでもないし、逆に続けても誰かに褒められるわけでもない。その自由さが時に、誰にも監視されないからこそ自分が一番厳しい審判になってしまう、ということを引き起こす気がします。
「こんなに止まってどうするんだ」「動いている人たちに追い越されるだけだ」——そんな声が頭の中にあって、でも体は動かなくて。すごく中途半端な、宙ぶらりんな時期でした。
転機は、ある日ふとダッシュボードを眺めていたときに来ました。何かを期待して開いたわけじゃなかったんですが、いつもと違う目で数字を見ていたんです。
「ダウンロードが少ない」のは「需要がない」からなのか、それとも「届いていない」からなのか。「収益ゼロ」は「価値がない」からなのか、それとも「価格設定や導線の問題」なのか。「反応がない」のは「つまらない」からなのか、それとも「そもそも見られていない」からなのか。
その日まで、動かない数字は「自分への否定」に見えていました。でも、よく考えてみると、数字はただ「現状を示しているだけ」なんですよね。良い悪いではなく、今どういう状態かを教えてくれている情報。
「リリースしたのに何も起きなかった」は、「誰にも届いていない可能性が高い」という情報でした。それは悲しいことだけど、ちゃんと意味のある事実です。「何をやっても無駄」ではなくて、「やり方を変える余地がある」ということ。
この見方に切り替わった瞬間、少しだけ息が楽になりました。数字が敵じゃなくなった、という感覚です。
そこから、少しずつ「観察」をするようにしました。どういう経路でダウンロードされているか。どのタイミングで離脱しているか。どんな言葉で検索されているか。大きなアクションじゃなくていい、ただ「見る」だけ。
それだけで、また少し手が動くようになりました。大きな施策を打つのではなく、わかったことをひとつずつ試してみる、という小さなサイクル。結果が出るかはわからないけど、「情報を集めて考える」という行為自体が、また楽しくなってきたんです。
停滞期を抜けるきっかけは、劇的なものではありませんでした。「よし、がんばろう!」という気持ちの切り替えでもなかったし、誰かに励まされたわけでもなかったです。ただ、ある朝起きたら、アプリのことを少し考えていて、ちょっとだけ直したい部分が浮かんでいた、くらいのことです。
あの1ヶ月で、自分が実際にやってよかったと思うことをいくつか書いてみます。
ひとつは、「数字を見る頻度を決めた」ことです。毎日確認するのをやめて、週1回だけにしました。それだけで、数字に振り回される時間が減りました。
もうひとつは、「なぜ作ったかを書き直した」ことです。リリース前に書いた説明文や紹介文を読み返したら、自分が本当に伝えたかったことと少しずれていることに気づきました。それを直すだけで、少しすっきりしました。
それから、「完全に別のことをする日を作った」ことです。意識的にアプリのことを考えない日を週に1〜2日設けました。休んでいいんだ、と自分に許可を出す感じです。
停滞期を経て気づいたのは、「動かなかった期間も、捨てたわけじゃなかった」ということです。数字を見ていなかった間も、頭のどこかでずっとアプリのことを考えていました。「あの機能を直したい」「こういう人に使ってほしい」という気持ちが、ぼんやりと残っていました。
完全に離れようとしても、ちゃんと戻ってこられた。それはつまり、まだ好きだということだと思います。
今振り返ると、あの「何も起きなかった1ヶ月」は、作ることの自然なプロセスだったのかもしれないと思います。リリースしたからといって、すぐに世界が変わるわけじゃない。何かが動き出すまでには、時間がかかる。それは当たり前のことなんですが、渦中にいると当たり前に見えなくなってしまうんですよね。
焦りも、諦めも、宙ぶらりんな時期も、全部ひっくるめて「リリースした後の体験」でした。そしてその体験を経て、またコードを書いたり、ユーザーのことを考えたりしています。それで十分なんじゃないかと、今は思えます。
同じような停滞期にいる人がいたら、伝えたいことがひとつあります。動かない数字は、あなたへの否定じゃないです。ただの情報です。怖がらずに眺めてみると、次の一歩が見えてくることがあります。
Lilyも、また静かに手を動かしています。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています