この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

先月、ふとしたきっかけで自分のアプリ名を検索してみたら、知らない人の動画が出てきました。 サムネイルには、私が作ったアプリのスクリーンショットが使われていて、「使い方・完全解説!」というテキストが添えられていました。再生数は3万回弱。コメント欄には「わかりやすかった」「ありがとう…
この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
先月、ふとしたきっかけで自分のアプリ名を検索してみたら、知らない人の動画が出てきました。 サムネイルには、私が作ったアプリのスクリーンショットが使われていて、「使い方・完全解説!」というテキストが添えられていました。再生数は3万回弱。コメント欄には「わかりやすかった」「ありがとうございます」という言葉が並んでいて、しばらく画面から目が離せなくなりました。 宣伝していない。告知もしていない。SNSでシェアのお願いもしたことがない。それなのに、見知らぬ誰かが私のアプリを自分で使って、動画を撮って、解説してくれていた。あの感覚をうまく言葉にできているかわからないけれど、今日はどうしてもこのことを書き残しておきたくて、こうしてキーボードを叩いています。
その日は別の目的で検索エンジンを開いていました。アプリのレビュー状況をなんとなく確認しようと思い、アプリ名をそのまま打ち込んだんです。
検索結果の上のほうに、動画のサムネイルが並ぶセクションがありました。最初は広告か何かだと思ってスクロールしようとして、ふと手が止まりました。見覚えのあるUI。見覚えのある配色。
「……これ、私のアプリだ」
クリックすると、ちゃんとした動画でした。画面収録と実際に操作している手元のカットを交互に使い、機能の説明がテロップで入っていて、投稿者の方が丁寧に使い方を語ってくれていました。コメントには「こんなアプリあるんですね」「さっそくDLしました」という反応が、10件以上ついていました。
その夜、私はなんだかしばらく動けませんでした。嬉しい、という感情はもちろんあったのですが、それ以上に「あ、届いていたんだ」という静かな実感がありました。
正直に言うと、最初に頭をよぎったのは「え、許可取ってないけど大丈夫なの?」という疑問でした(笑)。もちろん、アプリを一般公開している以上、使い方動画を作ること自体は問題ないのですが、自分のアプリが題材になっているという事実に気持ちが追いついていなかったんだと思います。
許可どころか、気づいてさえいなかった。半年前に静かにリリースして、以来ひっそりと機能を足し続けてきた、あのアプリが。
このアプリは、私が個人で作ったものです。チームも、資金も、締め切りもなく、土日の朝と仕事終わりの深夜に少しずつ積み上げてきました。
リリースした日は、Xに1ポストだけしました。「作りました」と画像を添えて。いいねは7つ。フォロワーが少ないのでまあそんなものかな、と思いながら、あまり長くは画面を眺めませんでした。
インストール数は少しずつ伸びていました。でも、数字はあくまで数字です。実際にどんな人が使っているのか、役に立っているのかどうか、ぜんぜんわかりませんでした。
レビューは当初ゼロで、3ヶ月後に初めて星がついたときは本当に驚きました。コメントには「シンプルでいい」とだけ書かれていて、それが誰なのかも、どういう使い方をしているのかも、何もわかりません。でもその一言を、私はスクリーンショットして保存しました。今でも手元にあります。
作ることはできます。機能を追加することもできます。でも、使われている実感を得ることが、個人開発では一番難しいと気づいたのはそのころでした。
リリースから8ヶ月ほど経ったとき、私は更新をほぼ止めていました。
忙しかった、というのは半分本当です。でも正直に言うと、「誰かに届いているかわからないまま作り続けること」のしんどさが積み重なっていました。通知の許可を取る画面を改善したとき、改善前後でどれだけ変わったかを確かめる術がなかった。フィードバックは来ない。作っているのは自分だけ。
あのころ、「もうこのまま放置でいいかな」と思った夜が何度かありました。
投稿者のチャンネルを見に行くと、アプリ紹介系の動画をいくつも上げている方でした。私のアプリの動画は、その中でも再生数が多いほうでした。
コメント欄を一つ一つ読んでいくと、「こういう使い方もできるんですね」という視点が出てきて、私が意図していなかった使い方をしてくれている人がいることに気づきました。あるコメントには「◯◯の機能が特に助かってる」とあって、その機能は実装するかどうか迷いに迷って最後の最後に入れたものでした。
私がしていないのは宣伝だけじゃありません。検索対策もほぼしていない。ストアの説明文も最小限です。それでも、見つけてもらえていた。使い続けてもらえていた。動画を作ってもらえるくらい、誰かの生活に組み込まれていた。
この事実は、数字では伝わらないことを一気に教えてくれました。インストール数は「ダウンロードされた回数」であって、「使われた時間」ではないのです。でも動画の中には、リアルな使用感がありました。実際に使っている人の手があって、「ここをタップして」という声があって、それを見て「私も試してみます」というコメントがある。
それを見て初めて、このアプリは「数字」ではなく「誰かの時間」の中に生きているのだと実感できました。
感動したまま終わらせたくなかったので、翌週には小さな行動を一つだけ起こしました。
投稿者の方に、コメント欄から「動画を作ってくださってありがとうございました。制作者のLilyです」とメッセージを送ったんです。
これが怖かった。「宣伝と思われたらどうしよう」「変な人だと思われたらどうしよう」と30分くらい悩みました。でも、送りました。
返信は3日後に来て、「作った方から連絡をもらったのは初めてです。これからも使い続けます」と書かれていました。その文章を読んで、私は少しだけ泣きました。
動画のコメント欄に書かれていた「◯◯機能が助かる」というコメント。そこに挙げられていた機能を、次のアップデートで少し拡張しました。使ってくれている人が必要としているとわかったから。
告知もほとんどしませんでした。でも今回は、アップデートノートを少しだけ丁寧に書きました。「こういう使い方をしている方のご意見を参考に改善しました」と。届くかどうかわからないけれど、届いていてほしいと思いながら。
個人開発をしている人は、フィードバックループの小ささと、ずっと戦い続けていると思います。
チームでプロダクトを作るとき、ユーザーインタビューがあって、データがあって、チームメンバーの反応がある。でも一人で作るときは、そのほとんどが手元にない。作ったものが「誰かに届いているか」を確かめる方法が、思ったより少ない。
だから途中で「もう誰も使っていないんじゃないか」と感じる瞬間が来ます。私にも来ました。そういう瞬間に作り続けられるかどうかは、ある意味で運と性格だとも思っていました。
でも今回の体験で気づいたことがあります。フィードバックは、探さないと見えない場所にある、ということです。
アプリ名で動画検索する。レビューを一つ一つ読む。SNSでアプリ名のエゴサをする。いずれも当たり前のことで、それ自体に新しさはないかもしれません。でも「届いていないかもしれない」と思い込んで目を向けていなかっただけで、実は届いていた。見えていなかっただけだった、ということが、私には本当に大きな発見でした。
最初から「誰かに使ってほしい」という動機があって作り始めた人もいるし、「自分が欲しかったから」作り始めた人もいると思います。私は後者で、始まりはほぼ自分用でした。
そのアプリが、気づいたら他の誰かの手元でも使われていた。それを知るのが、リリースから1年以上経ってからだった。そういうことって、あるんですね。
遅すぎた喜びとか、遅れてきた意味とか、そういうものを笑う人もいるかもしれません。でも私は、それでもよかったと思っています。タイミングが遅くても、受け取れる時間があるうちに知れたなら、十分です。
動画を見つけてから、私はまたコードエディタを開く時間が増えました。
停滞していた機能が一つ、動くようになりました。何ヶ月もペンディングにしていた、ちょっと複雑な画面遷移のやつです。「誰かが必要としているかもしれない」という感覚が戻ってきたら、急に手が動くようになりました。
もし今、「誰に届いているかわからなくて少し疲れている」という方がいたら、一度自分のアプリやサービスの名前を検索してみてほしいです。動画があるかもしれないし、ないかもしれない。でも、何かが見つかることもあります。
私はあの検索で、1年半分の疲れが少し溶けました。
作ったものは、知らないところで誰かの生活に入っている。そういうことがあります。本当に、あるんです。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています