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47日目の夜まで、Lilyは欠かさずコードを書き続けていました。 別に大きなものを作っていたわけではありません。機能を1つ追加したり、バグを1つ直したり、ただコメントを整理するだけの日もありました。それでも毎晩、どんなに疲れていても、どんなに眠くても、パソコンを開いてエディタを立…
この記事が良かったら
Lily さんへの応援になります
47日目の夜まで、Lilyは欠かさずコードを書き続けていました。 別に大きなものを作っていたわけではありません。機能を1つ追加したり、バグを1つ直したり、ただコメントを整理するだけの日もありました。それでも毎晩、どんなに疲れていても、どんなに眠くても、パソコンを開いてエディタを立ち上げることを習慣にしていました。 その記録が途切れた日のことを、今日は書いてみようと思います。失敗談といえばそれまでなのですが、あの夜を経て気づいたことが、もしかしたら同じように毎日何かを作り続けているあなたにも響くかもしれないと思って。少し長くなりますが、読んでいただけたら嬉しいです。
連続記録を意識し始めたのは、ある開発者のブログを読んだことがきっかけでした。「毎日少しでいい、続けることに意味がある」という内容で、そのときは「わかってはいるんだけどな」と半分他人事のように読み流していました。でも何となく気になって、翌日から自分でも試してみることにしたのです。
最初のルールはシンプルでした。「1日5分だけ、何かしら開発に触れる」。コードを書かなくてもいい。設計をメモするだけでもいい。ドキュメントを読むだけでもカウントする。とにかく「開発のことを考えた時間」があれば記録に残す、という緩いルールです。
これが思ったよりも続きました。最初の1週間はまだ義務感があったのですが、2週目を過ぎた頃から不思議と習慣になっていました。夜ご飯の後、歯を磨く前に、なんとなくパソコンの前に座る。その感覚が日常に溶け込んでいったのです。
30日を超えた頃、記録が続いていること自体が楽しくなってきました。
進捗管理に使っていたノートのカレンダーに毎日マルをつけていくのですが、そのマルが30個並ぶと、「よし、明日も」という気持ちが自然に湧いてきます。小さな積み重ねが可視化されると、それ自体がモチベーションになるんですよね。作っているものへの愛着とは別の、「続けている自分」への信頼みたいなものが育ってきた感覚がありました。
40日目を超えた頃には、もはや「やらないと気持ち悪い」というレベルになっていました。歯磨きを忘れると落ち着かないのと似た感じです。ここまで来ると、習慣化って本当にすごいなと思いました。
48日目は来ませんでした。
その日は朝から少しバタバタしていました。仕事でいつもより遅くなり、帰ってからも家のことがあって、夜11時頃にようやく一息ついたとき、正直もう疲れ果てていました。
「今日は…ちょっとキツいな」
そう思いながらもパソコンの前に座ろうとしました。でも体が重くて、ソファから動けない。「5分だけでいい」と頭の中では分かっているのに、その5分が遠くて。
気づいたら日付が変わっていました。
スマートフォンの時計が0:01を示したとき、初めて「あ、途切れた」と気づきました。不思議と、そのときはそれほど動揺しませんでした。ただ「あー、そうか」という、少し呆然とした感覚だけがありました。
問題は、翌朝でした。
目が覚めた瞬間、昨夜のことが頭をよぎりました。そして「47日間が無駄になった」という思考が静かに湧いてきたのです。
「また1からやり直しか」 「47日もかけて積み上げたのに」 「どうせ自分には続けられない」
誰かに責められているわけでもないのに、頭の中でそういう声が流れていました。朝ごはんを食べながらも、なんとなく気分が沈んでいて。自己嫌悪ってこういうことか、と思いました。
その日の夜、記録をつけていたノートを開くのが怖かったです。
47個並んだマルのあとに、空白がある。その光景を見たくなかった。それほどまでにあの連続記録が、Lilyにとって大きなものになっていたんだと思います。
でも、しばらく経って気づいたことがあります。
「あれ、誰かに怒られたわけじゃないな」と。
ノートを見ていない間も、誰かからメッセージが届くわけでも、フォロワーが減るわけでも、プロダクトが壊れるわけでもない。怖かったのは、ただ「自分の中にある完璧主義」だったんです。
ノートを開くのをためらいながら、Lilyは少し考え込みました。
「そもそも、何のために毎日書き続けていたんだっけ」
連続記録を続けることは、目的ではなかったはずです。プロダクトを作ること、ものづくりの習慣を身につけること、それが目的でした。毎日コードに触れることは、その手段のひとつに過ぎなかった。
なのに気づけば、「記録を途切れさせないこと」が目的になっていました。
これは、よく聞く話だとは思います。でも実際に自分が陥ってみると、かなりリアルな罠でした。
毎日続けること自体は素晴らしいことです。でも「続けること」に意識が向きすぎると、今度は「続けることへのプレッシャー」が、本来の動機を少しずつ侵食していくことがあります。
疲れている日も、体調が悪い日も、「記録を途切れさせたくない」という理由だけで無理やりパソコンの前に座る。そういう日の作業は、正直あまり身が入っていませんでした。手を動かしながら「早く終われ」と思っていることすらあった。
それって、何かを作る喜びから、ずいぶん遠いところにいますよね。
怖いと思いながらもノートを開いて、47個のマルを眺めていました。そのとき不思議と「47日間、ちゃんとやってきたじゃないか」という気持ちが出てきました。
途切れたことは事実です。でも47日間、続けた事実も消えません。空白の1日は確かにあるけれど、それ以前の47日間が嘘になるわけではない。
「1日くらい、休んでよかったんだ」
そう思えたとき、少し肩の力が抜けました。
翌日、Lilyは記録を再開しました。
「1からやり直し」という気持ちは、もうありませんでした。カウントをリセットするのでも、また1日目から数えるのでもなく、ただ「続きからやる」という感覚で。
ノートに書いた空白の1日は、そのまま残しました。消したり、塗りつぶしたりしない。あの1日はあの1日であって、なかったことにする必要はない。その上で今日のマルをつける。それだけです。
再開するとき、一つだけ自分のルールを変えました。
「記録が途切れても、そこで終わりにしない」
これだけです。続けられなかった日があっても、次の日またやる。それでいい。連続じゃなくてもいい。大事なのは、辞めないことだと気づいたので。
そしてもうひとつ、「しんどい日は本当に5分だけでいい」という基準を、より真剣に守ることにしました。以前は「5分だけ」と言いつつ、気づいたら1時間経っていることも多かったんです。5分で終わりにする勇気というか、5分でやめることを正解にする感覚を持つようにしました。どこかで「もっとやらなきゃ」という声が邪魔してくるのですが、それをそっと置いておく練習です。
47日と1日の空白を経て、Lilyはいくつかのことに気がつきました。
ひとつは、「続けるための仕組みは自分で決めていい」ということです。毎日の積み重ねを可視化する方法はいろいろあって、それを活用するのはいいことだと思います。でも、その記録がプレッシャーになって「作ること自体」が怖くなるなら、仕組みを変えたほうがいい。手段が目的を食ってしまったら、本末転倒です。
もうひとつは、「自分に対して公平でいること」です。疲れたら休む。調子が悪い日は短くする。それは怠けではなくて、長く続けるための知恵です。プロスポーツ選手だってオフがあります。毎日全力で走り続けることが美徳なのではなく、長い目で見てリズムを保てることのほうが、ずっと大事だと思うようになりました。
そして、これが一番大きかったのですが。「続けていること」と「諦めていないこと」は、必ずしも同じではないということ。毎日続かなくても、また戻ってくればいい。1日でも1週間でも、また再開できるなら、それは諦めていない証拠です。
もしかしたら、あなたにも似たような経験がありますか。
毎日続けていた何かが、ある日途切れた。そのとき罪悪感を感じたり、「どうせ自分は続けられない」と思ったり。
でも、途切れたことで全部が無駄になるわけではありません。それまでの積み重ねは、ちゃんとあなたの中に残っています。コードを書いた時間も、悩んだ時間も、何かを作ろうとした気持ちも、どこにも消えていない。
記録は途切れても、あなたの「作りたい」という気持ちは途切れていないはずです。
続き方は、自分で決めていいと思います。毎日でなくても、週に数回でも、気が向いたときでも。大事なのは、ものを作ることへの関心と、また手を動かしてみようという意志だと、Lilyは今そう思っています。
途切れた日があって、少し立ち止まって、また再開した。それもひとつの物語です。完璧に続けた人だけが何かを作れるわけじゃない。途中で休んで、また戻ってきた人も、ちゃんと作り手です。
Lilyも、まだ作り続けています。連続記録は途切れたけれど、また今日もノートにマルをつけました。それで十分だと、今は思っています。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています