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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

アプリをリリースした夜のことを、Lilyはたぶんずっと忘れないと思います。 画面の前で何度もリフレッシュしながら、ダウンロード数の変化を待っていました。そのカウンターが「1」になったとき、胸が震えました。世界のどこかに、自分が作ったものを手に取ってくれた人がいる。それだけで、半年…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
アプリをリリースした夜のことを、Lilyはたぶんずっと忘れないと思います。 画面の前で何度もリフレッシュしながら、ダウンロード数の変化を待っていました。そのカウンターが「1」になったとき、胸が震えました。世界のどこかに、自分が作ったものを手に取ってくれた人がいる。それだけで、半年近くかけた夜中の開発が報われた気がしました。 でも今日書きたいのは、そのあとに訪れた静けさの話です。友達に連絡した話。そして、名前も知らない誰かが、ひっそりとそのアプリを使い続けてくれていた話。その対比が、Lilyにとって一番大切な問いを教えてくれました。「自分は、誰のために作っていたんだろう」って。
ストアへの審査が通ったのは、平日の午後でした。Lilyはすぐにスクリーンショットを撮って、LINEのグループチャットに投稿しました。仲のいい友人が7人いるグループです。学生時代からの付き合いで、飲み会の幹事も一緒にやったし、引越しの手伝いもしてもらった。そういう間柄の人たちです。
「やっとリリースできた!よかったら使ってみてね」
スタンプがいくつか返ってきました。「おめでとう!」「すごいね!」「天才じゃん笑」。
でも誰もダウンロードしてくれませんでした。
最初の1週間は信じたくなくて、「まあ、みんな忙しいよな」と思っていました。2週間後、分析ツールを開いて、ユーザーの動向を確認しました。インストール元の地域データを見ると、友人が住んでいるような都市からのアクセスはほぼなし。誰も入ってきていない。
じわじわと、静かな事実が染み込んできました。
勇気を出して、一人だけに「どうだった?使ってみた?」と個別に聞いてみたことがあります。彼女は正直な人で、「ごめん、実は忘れてた」と言ってくれました。悪意はゼロ。ただ、生活の中に入り込む隙間がなかっただけ。
それはそれで、正しい答えだったと思います。
責めたいわけじゃないんです。むしろ逆で、「なぜ使ってもらえると思っていたんだろう」という問いの方が、自分には刺さりました。
友人たちは、そのアプリが解決する問題を抱えていなかった。Lilyが作ったのは、特定の習慣を管理するためのツールでした。その習慣を持っている人は、友人グループの中にはほとんどいなかった。単純な話です。でもリリース前は、そのことをちゃんと考えていませんでした。
「応援してほしい」という気持ちと、「使ってほしい」という期待が、Lilyの中でごっちゃになっていたんだと思います。友達に連絡したのは、正直に言えば「がんばった自分を見てほしかった」からでした。アプリのことよりも、自分のことを承認してほしかった。
それ自体は悪いことじゃないと思っています。でも、それを「ユーザーを集める行動」と混同してしまっていた。友達がダウンロードしてくれなかったのは失敗じゃなくて、最初から違う目的の行動だったんです。
リリースから2ヶ月ほどが経ったころ、分析画面を何気なく開いたときのことです。
1人のユーザーが、週に4〜5日のペースでアプリを起動し続けていました。最初のインストールからずっと。離脱していない。機能を少しずつ使っていて、設定画面も開いている。
その人のことを、Lilyは何も知りません。名前も、年齢も、どこに住んでいるかも。なぜそのアプリを見つけてくれたのかも。
でも、その人はちゃんと使ってくれていました。
そのとき不思議な感情が来ました。友達がダウンロードしてくれなかったときに感じた「さびしさ」とは、まったく違う種類の感情でした。なんというか、「届いた」という実感。自分の作ったものが、本当に必要としていた誰かのところへ、静かに届いていたんだ、という。
直接お礼を言う手段はありません。でも、このアプリが役に立っているなら、バグは早く直そうと思いました。使いにくい箇所を改善しようと思いました。友達に連絡したときとは、全然違うエネルギーで、アプリに向き合えるようになっていました。
この体験から、Lilyが学んだことをまとめると、こういう話になります。
友達に連絡したとき、Lilyは「自分の努力」を届けようとしていました。でも見知らぬユーザーが使い続けてくれたのは、「問題の解決策」が届いたからでした。同じアプリなのに、まったく違う文脈で存在していた。
個人開発をしていると、どうしても「近くにいる人」に最初に見せたくなります。それは自然なことだと思います。でも近くにいる人と、本当に届けたいユーザーは、たいていの場合、別の人です。
友達に使ってもらおうとすること自体が問題なわけじゃないんです。ただ、「友達が使ってくれないからダメだ」という結論に至ってしまうのが、もったいないと思うんです。Lilyもそうなりかけていました。
友達がターゲットユーザーじゃなかっただけで、アプリの価値とは別の話です。でも落ち込んでいるときは、それが一緒くたになってしまう。「誰にも必要とされていない」という気持ちになってしまう。
Lilyが実感したのは、本当に使ってくれる人は、プッシュしなくても来てくれるということでした。ただし、時間がかかります。静かです。最初は誰も見てないように思えます。
その静けさを、「誰にも届いていない」と読み違えてしまうのが、個人開発者がやめてしまう一つの理由なんじゃないかと思います。Lilyもそうでした。友達の反応を見て、もうやめようかなと考えた夜がありました。
そのとき、もし分析画面を見ていなかったら、どうなっていたかわかりません。
大きな教訓めいたことを書きましたが、実際に変えたのはすごく地味なことです。
ひとつめは、分析ツールを週に一度だけ見るようにしたことです。毎日見ると、数字の増減に気持ちが引っ張られすぎてしまいます。週単位で見ると、傾向がわかって、使い続けてくれている人の存在に気づきやすくなりました。
ふたつめは、アプリ内にフィードバック窓口を作ったことです。今まではストアレビューしか受け取る方法がなかったのですが、小さなフォームを一つ置きました。まだ返信は2通しかもらっていませんが、どちらも具体的な要望で、そのうち一つはもう対応しました。名前も知らない人との、小さな往復が生まれました。
みっつめは、友達グループへの投稿をやめたことです。代わりに、同じ種類の悩みを持つ人が集まるオンラインのコミュニティに、使い方の記事を一本書きました。読んでくれた人が何人かいて、その中の一人が実際にインストールしてくれました。
どれも小さいことです。でも、「誰のために作っているか」が少し明確になったら、やることも自然と変わってきました。
最後に、一つだけ補足を。
友達に使ってもらえなかったのは、別に傷ついてないふりをしたいわけじゃないです。やっぱり、ちょっとさびしかった。あの夜のグループチャットのスタンプを見たとき、「おめでとう」と「使うね」は違うんだなと思いました。
でも友達は、Lilyの応援団です。使ってくれなくても、がんばってるねって言ってくれる存在。それはそれで、本当に必要なものです。開発が行き詰まったとき、「どうせ誰にも使われないのに」ではなく「まあ、応援してくれてる人はいるか」と思えるのは、その関係があるからです。
ユーザーに向かう強さと、友達からもらう温かさは、別のタンクに入っています。片方がないと、もう片方が枯れてしまう気がしています。
リリース直後の自分に何か言えるとしたら、「友達に使ってもらえなくても、必要としている人はいるよ。ただ、あなたはまだその人に会えていないだけだよ」ということかもしれません。
そして、その人はきっと、静かに現れます。Lilyのアプリのあの人みたいに。名前も知らないまま、でも確かに、使い続けてくれながら。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています