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「お仕事は何をされているんですか?」 その一言が、思いのほか苦手でした。会話の流れで自然に出てくる、ごく普通の質問です。でも、それを聞かれるたびに、Lilyはいつも少しだけ息を止めていました。 会社員でもない。フリーランスでもない。かといって「個人開発者です」と胸を張れるほど実績…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
「お仕事は何をされているんですか?」 その一言が、思いのほか苦手でした。会話の流れで自然に出てくる、ごく普通の質問です。でも、それを聞かれるたびに、Lilyはいつも少しだけ息を止めていました。 会社員でもない。フリーランスでもない。かといって「個人開発者です」と胸を張れるほど実績があるわけでもない。ただひたすら、スマートフォンのアプリを一人でこつこつ作り続けている。それが現実なのに、いざ言葉にしようとすると、のどのあたりで何かが引っかかる感じがしていました。この記事は、「自分が何者か」をはっきり言葉にするまでの、ちょっとした内側の旅のことです。同じような引っかかりを感じたことがある方に届けば、嬉しいです。
ある年の冬、友人の紹介で少し大きめの集まりに参加しました。初めて会う人たちばかりで、テーブルを囲みながら自己紹介が順番に回ってきたとき、「お仕事は?」という流れになりました。
そのときLilyの口から出たのは、「IT関係です」でした。
嘘ではありません。でも、本当のことでもありませんでした。
「IT関係」という言葉には、不思議な力があります。それ以上掘り下げられにくい。なんとなくわかった感じになって、話題がすーっと次に移っていく。あの夜も、それで乗り切ることができました。でも帰り道、ひとりで電車に揺られながら、その言葉を何度も反芻していました。なぜ「アプリを作っています」と言えなかったのだろう、と。
言えなかった理由は、質問の連鎖が怖かったからです。
「アプリを作っています」と言えば、「どんなアプリですか?」と来る。それに答えれば、「どこでダウンロードできますか?」と続く。そしてある程度話が進むと、ほぼ確実に出てくる一言がありました。
「どれくらいの人に使われてるんですか?」
当時のLilyのアプリは、ユーザーが数十人いるかいないかという段階でした。収益もほとんどない。そういう状況でその質問が来ると、もうそこで消えてしまいたくなる。「アプリを作っています」という言葉が、正直であればあるほど、後に続く数字が小さければ小さいほど、みじめな気持ちになる。
だから、最初から言わない。「IT関係」という霧の中に隠れておく。そのほうが傷つかないで済む、とどこかで計算していました。
しばらくのあいだ、Lilyはもう少し正直な言い方を覚えました。「趣味でアプリを作っています」というものです。
「趣味で」という言葉を最初につけると、不思議と気が楽になります。趣味なら、うまくなくていい。趣味なら、稼げていなくていい。趣味なら、ユーザーが少なくても恥ずかしくない。その一言がクッションになって、どんな質問にも「まあ趣味なので」という着地点を作ることができる。
でも、ある日ふと気づきました。Lilyにとってアプリを作ることは、本当に「趣味」なのだろうか、と。
毎朝起きたとき、真っ先に考えるのはアプリのことです。仕事の合間も、電車の中でも、お風呂の中でも、「この機能はどうしよう」「あの画面の文章をもっとこうしたら伝わるかな」とずっと考えている。ユーザーからフィードバックが届いたとき、深夜でも気になって確認してしまう。明らかに、趣味の熱量ではありませんでした。
「趣味で」という言葉がかぶさることで、その真剣さがすこし薄められているような気がしてきました。傷つかないために用意した言い訳が、自分が大切にしているものを、自分の手で小さく見せてしまっていた。そのことに気づいたとき、少し悲しくなりました。
転機は突然やってきました。でも、ドラマチックな場面ではありません。
近所のカフェで顔見知りの方と話していたとき、仕事の話になりました。そのとき、なぜか「趣味で」という言葉が出てこなかったのです。いつも反射的に付け足すはずのクッションが、その日は口の端に出てくる前に消えていて。
「アプリを作っています」
言ってしまってから、後悔しかけました。また次の質問が来る。また説明しなきゃいけない。また縮こまる時間が来る。そう身構えていたら、相手の顔が少し明るくなって、こう言いました。
「何それ、すごいじゃないですか。どんなアプリですか?」
目が、本当に興味深そうでした。笑いをこらえているわけでも、哀れんでいるわけでもなく、ただ純粋に「知りたい」という顔をしていた。
そこから先は、不思議なくらい言葉が出てきました。どんな課題を感じていてアプリを作り始めたのか。設計で何日も詰まって、しんどくなったこと。初めてリリースしたとき、誰もダウンロードしてくれなくて静かだった一週間。その後、初めてレビューが届いたときの、あの震えるような嬉しさ。
全部、ちゃんと言葉になりました。
「そうやって一人で作ってる人、なかなかいないですよ。すごいと思います」と言われたとき、照れながらも、胸の中で何か小さなものが音を立てたような気がしました。承認されて嬉しかった、というより、自分が自分に言い訳するのをやめた感覚がありました。
その日の帰り道は、いつもと少し違いました。
「アプリを作っています」という言葉を口にしただけで、こんなに気持ちが変わるのか、と思いました。誰かに認めてもらえたから嬉しかった、というより、自分の中の何かが静かに変わった感じがありました。
Lilyはずっと「もっとちゃんとしてから言おう」と思っていました。もっとユーザーが増えたら。もっと収益が出たら。もっと誰かに紹介できるような実績が積み重なったら、そのときに堂々と名乗ろう、と。
でも実際には逆で、言葉が先に来て、現実がそれを追いかけてくることが多いように思います。
「アプリを作っています」と口にすることで、自分の中の何かが切り替わりました。この人は「作っている人」なのだ、という認識が、相手の中だけでなく、自分の中にもできあがる。それがじわじわと、日々の行動や習慣に影響を与えていく気がします。言葉にする前と後で、取り組む姿勢がほんの少しだけ変わりました。なんというか、「作ってます」と言った自分に見合うようにしたい、という気持ちが生まれたのです。
とはいえ、いまでも恥ずかしくなることはあります。
「アプリ作ってます」と言ったあとで「で、どのくらい使われてるの?」と聞かれると、やっぱり胃がきゅっとなります。「まだそんなに…」と声が小さくなる瞬間もある。もっと大きな数字を言えたらいいのに、と思うこともある。
でも、それでいいと思うようにもなりました。恥ずかしさは、真剣に取り組んでいる証拠でもある。どうでもいいことなら、恥ずかしくもならない。うまくいっていないことを隠したくなるのは、それが自分にとって大切なことだからです。
個人開発を続けていると、「完成」がどこにあるのかわからなくなることがあります。
リリースしてからも修正は続く。機能を追加したら新しい課題が見えてくる。ユーザーが増えると、今度は増えなくなったときへの不安が生まれる。終わりなき途中、という感じが続きます。
Lilyが思うのは、makerというのはそういうものなのかもしれない、ということです。完成して「作り終えた人」になるのではなく、ずっと「作り続けている人」でいる。「アプリを作っています」という言葉は、現在進行形です。作り終わったのではなく、今も作っている。そのことが、だんだん自分にしっくりくるようになってきました。
肩書きとか、実績とか、認定とか、そういうものがなくても、「作っています」という言葉は今日から使えます。
Lilyが気づいたのは、その言葉を使い続けることで、自分の中のアイデンティティが少しずつ育っていく、ということでした。最初は借り物みたいに感じた言葉が、使うたびに自分のものになっていく。「makerです」と名乗ることへの照れが、少しずつ、誇りに変わっていく。そういう時間の積み重ねが、個人開発者としての自分を作っていくのかな、と思います。
この記事を読んでいる方の中には、Lilyと同じように、「自分が作っています」とまだうまく言えない方がいるかもしれません。
実績がない。収益がない。リリースすらまだ。ユーザーが一桁。そういう段階でも、あなたは「作っている人」です。
作ることを考えている時間があるなら。頭の中で設計図を描いているなら。「こういうものがあったらいいな」と何度も考え直しているなら。それはもう、作っているということだとLilyは思います。
「アプリを作っています」という言葉は、実績の報告ではなく、自分がどこに立っているかの宣言です。
誰かに聞かれたとき、今日は少しだけ正直に答えてみてほしいな、と思います。「趣味で」という言葉を外して、ただシンプルに「作っています」と言ってみる。
相手の反応は、きっと思ったより温かいです。Lilyもそう感じました。そして何より、自分の中に小さな何かが生まれる感覚があるはずです。とても静かで、でも確かなものが。
あなたが今日作っているものは、言葉にする価値があります。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています