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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

深夜2時。部屋の中には自分とパソコンだけで、外は静まり返っています。 もう何時間もずっと同じ画面を見ていて、やっと一つ動くようになりました。ずっとうまくいかなかった部分が、ふとした気づきで解決したときのあの感覚です。「やった」と思いました。でも、その「やった」を言う相手が、どこに…
この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
深夜2時。部屋の中には自分とパソコンだけで、外は静まり返っています。 もう何時間もずっと同じ画面を見ていて、やっと一つ動くようになりました。ずっとうまくいかなかった部分が、ふとした気づきで解決したときのあの感覚です。「やった」と思いました。でも、その「やった」を言う相手が、どこにもいないんですよね。 個人開発をしていると、こういう瞬間がたくさんあります。誰にも言えない小さな勝利、誰にも知られない深夜の成功。Lilyは個人でいろいろ作りながら、ずっとそういう静かな時間を過ごしてきました。今日は、そんな深夜の話を書かせてください。
チームで開発しているときは、コードレビューがあって、何かマージされたら誰かが「いいですね」と言ってくれることがあります。でも個人開発はちがいます。自分が作ったものを、自分だけが知っています。
最初のうち、それが少し寂しくて、SNSで「できました!」と報告しようとしたこともありました。でも、なんというか、うまく言葉にならないんですよね。「〇〇の機能を実装しました」と書いても、「何それ」とスルーされるのが目に見えていて、けっきょく下書きのまま消してしまうことが多かったです。
褒めてほしいわけじゃないんです。ただ、誰かにこの「やった」を知ってほしい——というか、ちゃんと記録したい、みたいな気持ちがあったんだと思います。
もう一つ困るのが、進捗感が薄れてくることです。毎日少しずつ作業しているのに、どこに向かっているのか、どのくらい進んだのか、だんだんわからなくなってきます。気づくと「何もできていない気がする」というモードに入ってしまいます。
やることリストを作っても、完了した項目は消えていくだけです。消えたものは残らないから、「自分は何を積み上げてきたんだろう」という問いに、答えられなくなります。
ある深夜のことを、今でも覚えています。
1ヶ月以上うまくいかなかった部分がやっと動いて、テストが全部通った夜です。うれしくて、でも誰にも言えなくて、いつもどおり変更を保存しようとしたとき、つい書いてしまいました。
「ついに通った!!やっと!!!」
作業記録としては、まあよくないですよね。「〇〇の機能を追加」みたいな書き方が正しいのはわかっています。でもそのとき、そんなこと気にする余裕もなかったし、気にしたくもなかったです。ただ正直に書いたら、感嘆符が3つついていました。
それが最初でした。
その一回が、いつの間にか習慣になっていました。ちゃんと動いたとき、難しい問題をようやく解決したとき、「これはいいかも」と思えるものができたとき、保存するときのひとことにそっと本音を書くようになりました。
「3日悩んでいたやつ、やっとわかった」 「正直もうやめようかと思っていたけど、今日は少し好きになれた」 「これ、誰かに使ってもらえたらいいな」
誰も読まない、自分だけのひとこと。でも書くと、なんか落ち着くんです。
ある日、なんとなく過去の変更履歴を眺めていました。最初は「どのタイミングであれを変えたっけ」という確認のつもりだったんですが、気づいたらずっと読んでいました。
「こんなことがあったんだ」「このとき、こんな気持ちだったのか」という記録が、そこにありました。技術的な変更の記録のあいだに、自分の感情のかけらが混ざっていて、まるで日記を読み返しているようでした。
過去の自分が「もう無理かも」と書いたすぐ次の記録に、「あ、わかった。動いた」と書いてありました。その流れが残っていて、思わず笑ってしまいました。ちゃんと乗り越えてきたんですね、自分。
昼間、仕事をしながら、あるいは外出中にスマホでアイデアを書いているときは、なんとなく「ちゃんとした言葉」を使おうとしてしまいます。人に見せることを前提に、少し取り繕ってしまう。
でも深夜2時の一言は、そのフィルターがはずれています。疲れているから、もうカッコつける気力もありません。そのまま書いてしまいます。
結果として、深夜のひとことのほうが正直です。「つかれた」と書いてあったり、「ほんとうにこれでよかったのかな」という疑問がそのまま入っていたり。でも、その正直さが、読み返したときにいちばんリアルに響きます。
記録としての価値は、整理された言葉より、正直な言葉のほうが高いかもしれない。最近、そんなことを思っています。
しばらくして気がついたことがあります。前の夜に「やっとできた」「今日は少しいい感じ」と書いて寝た翌朝は、なんとなくパソコンを開くのが苦じゃないんです。
逆に、何も書かずに「もうだめだ」という気持ちのまま終えた日の翌朝は、作業フォルダを開くのが少し重くなります。
原因を証明することはできないけれど、体感としてはっきりわかります。前日の終わり方が、翌日の始まり方に影響している。そして、あの深夜のひとことが、その「終わり方」を少し変えてくれているんだと思います。
個人開発を続けるのに必要なことって、大きなモチベーションよりも「あした続きをやろう」という小さな気持ちだと思うようになりました。
その気持ちを次の日に渡せるかどうか。それが長く続けられるかどうかを決める気がします。
あの深夜のひとことは、未来の自分への手紙みたいなものかもしれません。「今日はここまでできたよ」という報告であり、「あしたまた来てね」という招待状でもあります。
個人開発をしていると、「まだリリースしていないから」「まだユーザーがいないから」「まだ完成していないから」という理由で、自分の進捗を認めないでいることが多いです。Lilyも長いあいだ、そうでした。
でも、完成してから喜ぼうとすると、喜ぶ機会がほとんどありません。完成は、まだずっと先のことですから。
本音を書くようになってから、少しだけ変わったことがあります。作業の終わりに「今日、何があったか」を振り返るようになりました。
大きな前進じゃなくていいです。「ずっとわからなかった用語がようやく理解できた」「10分だけど集中できた」「ひとつ消せた」——そういうレベルの話でいいんです。
それをひとことだけ添えて、保存する。それだけで、その日が「何もなかった日」じゃなくなります。
「自己肯定感を高めよう」みたいな話には、Lilyは少し苦手意識があります。無理やり「できてる!すごい!」と思い込もうとしても、どこかで「でも本当は……」とブレーキがかかってしまうから。
そうじゃなくて、記録するんです。感情じゃなくて、事実として。「今日、これをした」という証拠を積み上げていく。
感情で自分を鼓舞しなくていいんです。事実が残っていれば、それを見て確認できます。「ちゃんとやってきたな」というのは、気持ちじゃなくて確認です。
こんな話を書いたのは、同じように深夜に一人で作っている誰かに届いてほしかったからです。
個人開発は、基本的にひとりです。誰かがパチパチ拍手してくれる場面は、ほとんどありません。でも、だからといって、あなたの「やった」が存在しないわけじゃないんです。
変更履歴でなくてもいいです。メモ帳でも、スマホのメモでも、何でも。今日、ちょっとだけ動いたこと、わかったこと、続けられたこと——それをどこかに書き残しておいてほしいと思います。
Lilyはこれからも、深夜2時のひとことに本音を書き続けると思います。誰も読まないかもしれないけれど、未来の自分が読みます。そしてたぶん、その未来の自分が、また明日を始めてくれます。
ひとりで作り続けているすべての人へ、今日もお疲れさまでした。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています